「よい経験」をうまく表現できるようにしておくことの意義

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「よい経験を自分が実際体験していること」と「よい経験をうまく言語化して人に伝えられること」は近いようでなかなか遠いことだと思います。たとえば、大学生が就職活動をするときのことを考えてみるのがわかりやすいと思います。

「他の大学生が経験したことのないようなよレアな経験をしている学生」と、「そうでない学生」では一見、前者の方が面接をクリアするように思えます。しかし、実際はなかなかそうではないと思います。

よい経験をしたことがある学生でも、その経験を「うまく言語化できていないこと」によって、なかなか評価されなかったり、それほどレアな経験をしていなくても「上手に意味づけをして言語化できること」によって評価されるということはよくあることだと思います。

私がここで問題にしたいのはそういう面接がよいのかどうかということではありません。「よい経験をしていれば無条件によい話として伝わる」というほどなかなか単純なものではなく、せっかくのよい経験をしたのならば「周りの人に伝わるように、言語化する努力」もするといいのではないかということなのです。

実際に、自分の周りの大学生で「非常によい経験をしているし、よい学生だな」と感じる人でも、その経験を文章にしてもらったりすると「あれ、本当はもっとよい経験しているのにな」と思うことがあります。その人のことを知っていればそれでも大丈夫ですが、知らない人がその文章だけ読んだら、その人の魅力は全然伝わっていないのですよね。

さらに「よい経験をうまく表現できていないこと」が問題なのに、その話をして評価が伴わないと「そもそもあの経験は意味がなかったのではないか」という経験自体を疑ってしまうことというのもよくあるのではないかと思います。それはそれでもったいないですよね。

自分がした経験がよい体験であればあるほど、かえって言語化するのは難しくなると思います。非常に複雑なことをやっていたり、自分にとっての学びや発見があればあるほど、一言で説明するのは非常に難しいでしょう。言語化が難しいのは、経験が良質であるということともリンクしているのではと個人的に思います。

しかし、せっかくそのようなよい経験をしたからこそ、その経験をうまく言語化する努力をしてほしいと思います。たとえば、友達や家族に説明しようとするのもよいかもしれません。親しい人であれば、わからないところを指摘してくれるでしょう。「それってどういう意味?」という具合です。

また、普段自分がやっていることを全然知らない人と出会う場所にでていくことも重要でしょう。常に同じコミュニティにいると、「あれはさー」というかんじでちゃんと説明しなくても伝わってしまいます。しかし、全然知らない人と出会うと「あれ」では話は通じません。「あれ」はどうやって説明したら伝わるのかなと考える習慣ができることはとてもよいことだと思います。

「よい経験ができる場」を探しながらも、それと同じレベルで「経験を語る場」も作っていけるとよいのではないかと思います。

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