月別アーカイブ: 2016年2月

フィードバックは「もらえるもの」か「もらいにいくもの」か?

仕事をするにせよ、大学の授業でなにかプランをつくるにせよ、他者からのフィードバックはとても重要です。

・プランのどこがよくて、どこを改善しなくてはならないのか?
・自分のふるまいの何がよくて、何を改善するべきなのか?

これらを自分一人だけで判断することは難しいでしょう。自分が次にどのようなアクションを起こすかを検討する上で、フィードバックは貴重な情報源となります。

その貴重なフィードバックなのですが、そもそもフィードバックは「もらえるもの」なのか、それとも「もらいにいくもの」なのでしょうか。

この認識は「学ぶ」とか「成長する」という意味で大きなわかれめになるのではないかと思っています。後者の認識を持っている人は強いように感じるということですね。

これはある意味で「学校的」か「職場的」かとも言い換えられるのかなと思います。

学校的に考えるとフィードバックは何もしなくても「もらえるもの」という認識が強いのかなと。これがどんどん職場に近づいて行くにつれて「フィードバックは自分からもらいにいくもの」という認識が強くなっていくのかなと思います。

今回これをなぜ取り上げたのかというと、大学の授業で「フィードバックの機会」をどのようにデザインしようかと考えているからです。

授業としては「最低限必要なフィードバックの機会」は担保したいと思っています。一方で、全て手取り足取りデザインしてしまうと「フィードバックはほっておいてももらえるもの」として認識されてしまう可能性があります。

大学は「学校と職場の橋渡し的な環境である」ということを考えると、これはまずいのかなと。授業をデザインしすぎることでかえって学生を受動的にしてしまうという危険性があるということですね。

もちろん、だからといって「一切フィードバックをしない」というのも極端でしょう。

最低限のフィードバックの機会は必要といえます。ただし、これは「最低限(ミニマム)の担保」であって、必要性を感じたら、どんどん自分から情報を取りに行くということが大事になってくるのかなと思っています。

このあたりの「教育環境のつくりこみ」と「学生が能動性を発揮する余地を残すこと」のバランスは毎回頭を悩ませるところです。ポイントは、デザインする側の意図と、受ける側の意図をうまく重ねることなのでしょうね。

デザインする側は「余白」を残し、その代わりに「提案を受け入れる」ような環境をつくり、受ける側も「全て人任せ」ではなく、必要なことは自分からアクションすることで余白が埋まるものだという共通認識が重要になってくるのかなと思います。

そうでないと、以下のようなことが起こってお互いうれしくない状態になってしまうと思います。

教える側:フィードバックなんて自分で取りにくるものなのに、全然求めてこない。

受ける側:全然フィードバックをしてくれない。もっとちゃんとしてくれる人がよかった。

今回はフィードバックに対する態度の話を書きました。この話はフィードバックに限らず、受け手の主体性を奪わずに、学びの機会を担保するためにはどうしたらいいのか?ということにつながっていくと思います。

なんでもかんでも面倒を見すぎず、一方で、受け手もなんでもかんでも面倒を見てもらおうと思わない、両者が自律したような環境をどのように作っていくのか、についてはまだ色々と議論が深められそうかなと思っています。

このあたりがアクティブ・ラーニングなどの議論でもキモになってくる部分じゃないかと思います。

【関連する書籍】

いまこちらの書籍を読んでいますがなかなか面白いです。今回取り上げたフィードバックに関する内容です。特に「フィードバックをどう受け止めるか」に焦点があたっています。

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今月更新したブログ記事はいかがでしたか?:2016年2月に更新した記事まとめ

2016年は毎月最低ブログを8記事は更新すると宣言したのですが、いまのところ1月、2月ともにこれをクリアすることができました。

ブログをみると自分自身がどんなことを考えているのかが自分でもよくわかります。

まだ2月は残っているので、1〜2記事追加する可能性はありますが、ひとまずここで今月のブログ記事をカテゴリごとにまとめておこうと思います。

よろしければぜひご覧くださいませ。

【考え方に関するもの】

「仮説を立てて、検証のサイクルをまわす」という考え方を学ぶのはいつ?

「同じ体験」から「よく学べる人」と「そうでない人」の違いと、そのトレーニング方法とは?

人に頼るか、自分でやるかをどう判断するか?

【授業作りに関するもの】

「リーダーシップ開発のためのプロジェクト型授業」をデザインする上でのポイントとは?

授業の「何を変えて、何を変えない」のか?:本当の問題はどこにあるかを考える

人はそもそもどのように学んでいるのか?を問う

【コラム的なもの】

「先生の仕事ってなんなんですか?」という素朴な質問

「ひさしぶり」という感覚が麻痺している

スープストックトーキョーさんが開催する「食と落語のワークショップ」に参加してきました

【お知らせ】

質問を活用した振り返り手法に関する論文(ショートレター)が掲載されました

【今月書いたブログ記事に関連するもの】

今月書いたものではないですが、今月よく読まれた記事です。

「振り返り」をどのようにデザインするか?:「重たい反省会」は学びにつながるか

【コラム】研究テーマを決めるときの3つの視点

僕が中原研で学んだ「先行研究の読み込み」に必要な3つのポイント

【関連する書籍】

チームが機能するとはどういうことか――「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ
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「同じ体験」から「よく学べる人」と「そうでない人」の違いと、そのトレーニング方法とは?

何か話を聞くだけではなく、「体験」をすることは学びにとって非常に重要です。しかし、同じ体験をしていても、そこから10学べる人もいれば、1しか学べない人もいます。その違いを生む要因のひとつは「具体的な体験」から、そのほかの状況にも応用可能な「教訓を抽出できるか(抽象化)」にかかっているでしょう。

具体的な例でいえば「あるプロジェクトがうまくいかなかった」という場合に「何がどううまくいかなかったのか」「なにが少なくともうまくいっていたのか」をうまく取り出すことで「次のプロジェクトのときはこうやろう」ということができるかにつきます。

一方で体験から学べない人は「今回はグループメンバーが微妙だった、以上」のようなかんじで、自分ではコントロール不可能な要因をとりあえずの理由にしておえてしまうパターンです。これでは「うまくいかなかった」という体験だけ残り、次もきっと全て運任せになってしまうでしょう。

もちろん、どんなに自分が成長しても、グループでの仕事は全てコントロールすることはできず100%を目指すことはできませんが、自分の行動レベルで何かトライできるようなことを抽出できないと、確率もあがってきません。

自分ではどうしようもない要因(例えば、メンバーを選ぶ)だけを見て人のせいにしても成長につながりません。一方で、自分のせいじゃない要因を「自分のせい」と思って卑下したりするのももったいないです。

全てはコントロールはできないし、自分のせいじゃないこともあるけど、少なくともここはがんばろうと思えるポイントを抽出できるかがポイントになります。

ここまで「学べる人とそうではない人の違い」について述べてきました。ここまではだいぶすっきりと整理ができるように思います。一方で、「じゃあそうではない人ができるようになるためにはどうしたらいいの?」という問いはけっこう難しいなと思います。

「体験からの抽象化」という行為を、我々は「振り返り」と呼んでいると思うのですが、「よい振り返りができない人ができるようになるためにはどうしたらいいのか?」というのは、案外とわかっていないことが多いと思うのですよね。

これに対して最近思っていることは2つです。

1つめは「体験の前の準備が重要」ということです。「振り返り」は「体験の後」にやるものですが、そもそも体験の前での仕掛けがうまくいっていないとだめなのではないかということを最近よく考えています。つまりは「仮説(こうやるといいかも)」とか「目標・目的(こうなりたい)」ということをどれだけちゃんと持っているかです。これができていなければ、振り返りの視点がないため、結局うまくいかないのではないかと思います。

2つめは「振り返りにおいて文章を書くこと」です。「振り返り」の習慣がついている人はいいかもしれませんが、そうでない人が練習するためにはやはり「書く」ということが重要ではないかと思っています。「書く」という行為は、文脈をともにしないひとにもわかるようにしなくてはなりません。つまり、書く場合には、そのときの状況を自ら切り取り、記述するという行為が内包されているわけです。振り返りを口頭でやらせたり、ちょっとしたやりとりで終わらせずに、「しっかりと書く」という行為に落としていくことはけっこう重要なのかなと思っています。

今日は「同じ体験」から「よく学べる人」と「そうでない人」の違いと、そのトレーニング方法について書きました。これは結局のところ「よい振り返りをどうデザインするか?」という点と共通する議論だと思います。このあたりについては、実践に加え、今年は研究ベースでさらにもう少し深めていけるといいなと思っています。

特に「書くこと」については、院生の頃にさんざん研究したテーマでもあるのでそことうまく接続していくと個人的には面白いのかなと思っています。

■関連する記事

「振り返り」をどのようにデザインするか?:「重たい反省会」は学びにつながるか
http://www.tate-lab.net/mt/2014/01/post-300.html

リフレクションとは「私が悪かったです、頑張ります、大丈夫です」と「言わせること」なのか?
http://www.nakahara-lab.net/blog/2016/02/post_2561.html

あなたには振り返りをサポートしてくれるリフレクションパートナーがいますか?
http://blog.livedoor.jp/mitsuhiro_saito_lab/archives/1052499174.html

■関連する書籍

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「リーダーシップ開発のためのプロジェクト型授業」をデザインする上でのポイントとは?

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先日、来年度の授業の詳細について検討するワークショップを学内で行いました。このワークショップでは、教員と学生(Student Assistant)が一緒になって、昨年度の授業の問題、そして来年度の授業の詳細について提案を行うようなものでした。今回は産学連携のプロジェクト型授業を対象にしています。

ワークショップを行うにあたって、授業デザインをするときに毎年議論の論点となるものはなにかを洗い出しました。そうするとだいたい以下のようなことが常に論点として挙がってくることがわかりました。

・学生が「自分の頭をつかって」プランを考えるためにどこまで教えて、何を考えてもらうべきか?
・振り返りをどのようなタイミングで、何に対して、どういう形式でデザインするか?
・フィードバックをどのようなタイミングで、何に対して、どういう形式でデザインするか?
・この授業と、他の授業や、大学生活(バイトなど)を結びつけてもらうためにどうするか?
・プランを考える上でも、リーダーシップを伸ばす上でも効果的なビジネスコンテストの形式とは?

ここで示した5つは一部であり、実際はさらに多くの論点があります。

このそれぞれについて、学生と教員が一緒になって議論をおこなっていきました。

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大学の授業はだいたい15回くらいあると思うのですが、その機会の中に上記のポイントを押さえながら、上手に活動やレクチャーを配置していくのはなかなかにハードです。

限られたスペースの中で、学習効果を最大化するための活動の選択、配置は、非常に難解なパズルのようなものですが、ここをつくるのが一番ワクワクするところでもあります。

このプロセスを一人で全て抱え込むとなかなかきついのですが、学生や教員と一緒にワークショップをすることで「重要な論点」があぶり出されていくので、それが考える素材となります。

あとはこの素材をもとに、自分の経験や学習支援のための研究知見をもとに、全体像をつくっていくというかんじになります。

大人数に対して、一方的なレクチャーではなく、体験を通してしっかり学んでもらうような授業をつくるためには、教える方も個人ではなく、チームとして取り組まなければ難しい状況なのだろうなと思います。ある種の分業も必要になります。

学生が授業でチームワークを発揮できるような環境を作るためには、まず教え手の方がチームワークを発揮することがどうしても前提となってきてしまうのだと思います。

その意味で、教え手が学生に対してファシリテーションをしたりするスキルも重要なのですが、それと同時に教え手たち同士がチームワークを発揮できるような、組織開発的な視点もあわせてもっていかないとなかなか厳しいのかなと感じています。

今回紹介したのは、プロジェクト型授業の事例なので、大学の授業全てにあてはまるわけではありません。こうした活用をメインにした授業とともに、講義型の授業もどちらも重要です。

ただ、大人数に対して、体験型の授業をしっかりつくっていこうと思うと、授業づくりの体制そのものも、チームとしてやっていく必要がでてくると思います。

こうした教える側のチームとしての体制をどのようにつくるのかというのは今後のポイントになってくるのだろうなと思っています。

【関連する書籍】

 

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「ひさしぶり」という感覚が麻痺している

最近「ひさしぶり」という感覚が麻痺していると感じることがあります。例えば、数年ぶりに顔を合わせたら、普通は「ひさしぶりー!」という感覚になるわけですが、そうならないことがけっこうあります。

でも、もちろん数年ぶりに会って「ひさしぶり!」という感覚になるケースもあります。

それをわけているものは何かというと、おそらく「SNSの使用頻度」なんですね。

SNSを活用している人とは、対面でどれだけ会っていなくても、「ひさしぶりです!」という感覚がどうしても薄れます。毎日会っているような気がしているからです。

一方で、SNSを活用していない人の場合には、たとえ一週間離れただけでも、「ひさしぶり!」という感覚になります。だいぶ会っていないなあという感覚があるからです。

どっちがいい悪いってことはないんですけど、なんか不思議ですよね。

数年会っていないのに「ひさしぶりな感じがしませんね!」ということがあったり、一週間会っていないだけで「ひさしぶりですね!」となったりと、どうにも「ひさしぶり」の感覚が麻痺しているように感じる今日この頃です。

SNS時代では「ひさしぶり」と感じられることは実はぜいたくなことなのかもしれません。

 

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人に頼るか、自分でやるかをどう判断するか?

人に頼るべきか、自分でやるべきかを迷う局面てけっこう多いですよね。

普段大学で大学生たちをみていると、どちらかというと「自分で全部やっちゃう」「頼れない」という話を聞くことが多いです。社会人になってもそうですかね。

じゃあ実際どういうときに「頼るべき」なのかをちょっと考えてみました。

1.頼らないとチームとしてのミッションが達成されない場合

「頼るか」「自分でやるか」の選択に迷ったときに、間違いなく「頼る」を選択したほうがいいと思うのは、頼らないとチームのミッションが達成されないときかなと思います。

ひとりで抱えてしまったがゆえにやるべきことが終わらないというのはなんとしても避けたい状況ですよね。

「頼るか」「ひとりでやるか」は「方法」なので、「目的の達成」を一番にゴールとした場合には、なんとしても頼んだほうがいいでしょう。

頼みやすくするためには、普段から関係をつくっておくこと(自分が頼られる)や、「だれが何が得意か」を把握しておくということでしょうか。

自分が手が空いているときには、なるべくチームの助けになることをしておくと、自分が困ったときにも助けてもらえやすいでしょう。また、「これを頼むなら、この人」というように、チームで役割が明確化されていて、それがはっきりしていると頼みやすいと思います。

つまりこの場合は「頼る」が前提で、「よりよく頼むには」を考えていることになります。

2.頼らなくても達成できてしまう場合

「頼るか」「自分でやるべきか」を迷うケースというのは「自分だけでやってもできてしまう」というケースかなと思います。この場合に、あえて「頼る」というのは、「その人の成長」とか「仕事の平等感を出す」とかそういうかんじになってくるのでしょうか。こっちの場合は少しややこしいですね。

自分でやってもできてしまうのに、あえて頼るという場合には、それが「相手の成長」が目的であれば、本当にその目的が達成できているかを考える必要があるでしょう。

その仕事を任せることが本当に相手の成長につながるのかということですね。なんとなく「頼る(任せる)」をしているだけの場合や、長期的な視点に立つことができずに「自分ができればよい」と思い込んでいる場合には注意が必要でしょう。

また、仕事の平等感を出すという場合は、ちょっと注意かもしれません。これだと目的が「ミッションの達成」ではなく、「みんな大変だよね」とか「みんなやっているよね」ということになってしまうからです。なんとなく手段の目的化が起こりそうな予感です。

個人的には、自分が簡単に終わらせることのできる仕事であればどんどん自分でやっちゃって「別の仕事」を他の人にやってもらうというのもありかなと思います。

つまり「自分がやれることはどんどんやる」、でもやれないことは「どんどんやってもらう」ということです。

それができるためには「自分の役割は何か?」ということを自分でわかっている必要もあるかもしれませんね。

自分の担当している仕事の役割(守備範囲)は?自分の強みは?を自分が理解し、周りに理解しておいてもらうことで、円滑に仕事が進むといえるかもしれません。

さて、今日は「人に頼るか、自分でやるかをどう判断するか?」について書きました。最初は「頼る気持ちを持ちましょう」的なかんじで書きましたが、結局これは「チームとして働くというのはどういうことか」を考えることなのかなと思ってきました。

「頼るマインドを持つ」のは重要だとして、チームとして「ここはだれの守備範囲なのか?」ということを相互に理解していることで、「人に頼るか、自分でやるか」を判断できるようになるのかなと。

つまり「頼るか、やるか」で迷ったときに、考えるべきことの1つは「このチームにとって、自分が守備範囲とするべきものはなにか?」ではないかなと。それは個人レベルでも、チーム(部署など?)レベルでも同じです。

「ここはおまえのポジションのはず!」というところで、頼られてもチームとしては大変です。一方で、「ここは俺が守る!」というところに、どんどんサポートをもらっても、両方困ってしまいます。

「チームとしての最適解はなんなのか?」

こうした大きな視点を持つことで、この問いに対する答えがでてくるのかもしれませんね。

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人はそもそもどのように学んでいるのか?を問う

どんな教育方法がよいのか?という方法(how)の議論をするとともに、そもそも人はどのように学んでいるのか?の議論も一緒にできるといいなと最近よく考えています。

さまざまな教育方法がでてくる背景には、必ず「人はこうやって学ぶ」というような背景となる考え方があります。その考え方を学ぶことで、「では、こういう方法もありですよね?」という解釈が生まれてくることになります。

しかし、背景を抜いた「その方法のみ」を知っているだけであると、なかなか応用することができません。「なぜ、その方法なのか」がわからないからです。その状態だと、どうしても方法だけを追っていかざるを得なくなります。

人はどのように学ぶのか?という議論については、まだ決着はついていない部分も多いですが、これまで明らかになってきたことも非常に多くあります。

自分自身、教育実践の工夫はさまざま行っていますが、それらの源になっているのは確実に、学習に対する考え方・理論の影響があります。

どんな教育方法がよいのか?というhowの議論が盛り上がっているときこそ、その背景となる学習理論のようなものもあわせて世の中に広まっていくと、さまざまな応用が増えていいのになと思います。

自分自身も「どうやって教えるか?」というtipsだけではなく、そもそも人はどのように学んでいるのか?ということに関連するような内容を少しずつ発信していけるといいなと思います。ブログもひとつの場ですね。

ただやはり「人がどう学ぶか?」といったようなテーマについては、じっくり腰を据えてみんなで考えていきたいものです。

短い時間の講演やワークショップだけではどうしても限界があります。理論によせると、結局どうやったらいいかわからないという話になりますし、方法によせると、ノウハウだけの共有になりがちです。

もちろん、スタートの機会としては非常に価値をもちますが、それを「きっかけ」と捉えるか、一度やったからよいと捉えるかはまた別といえるかもしれません。

結局なにかを本当に変えるということを決心するのであれば、長期間にわたって、方法も背景もしっかり学ぶほかありません。

なんでもかんでも短期間のtipsでしのごうとしないというところから全てははじまるのかもしれませんね。

【関連する文献】

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「仮説を立てて、検証のサイクルをまわす」という考え方を学ぶのはいつ?

「仮説」を立てて「検証」するというのは、研究者だとそんなことばかりやっているわけですが、そういう考え方のプロセスを学ぶ機会はいつあったかなというのを最近よく考えています。

大学の授業でも「仮説・検証のサイクルをまわす」というのがキーになるのですが、こういう考え方になれていない学生も多いからです。まあ自分もそうだったんですけど。

こういう考え方そのものを訓練をする機会を授業にしっかり取り入れたいと最近考えています。

仮説検証のサイクルまわすプロセスについて、プロジェクト学習でよくありがちなシーンをもとに考えてみましょう。

例えば、授業でなにかのビジネスプランを考えるとします。「海外にいかない若者をどうやって行かすことができるか」という課題だとします。

まずその場合にやりがちなのが「安くなるキャンペーンをやればいい」というかんじで、いきなり解決策を考えてしまうというケースです。「なぜ行かないのか?」という理由(問題)を深掘りしないでいってしまうことですね。

次に「なぜ行かないのか?」という理由を考えられたとします。「お金がないからではないか?」と考えるとすると、これは「仮説」となります。

次に、その仮説が正しいかを検証していきます。「お金と旅行のデータ」などを探してみるのもいいかもしれません。そうすると、それを支持するようなデータがでてくるかもしれません。

しかし、そこで終わらせず「本当にそうか?」をもう一度考えてみます。次の仮説は「お金がないからいきたくないという若者は、安ければ本当にいくのか?」という点です。そしてまたデータを探しにいきます。

こんなサイクルをまわしていくと、問題が深掘りされて、真の問題とそれにささりそうな解決策に近づいていくことができるでしょう。問題が深掘りできていると、解決策の焦点も定まっていくので、確実に前に進んでいくことになります。

でもなかなかそうはならないのですよね。「仮説」(もしかしたらこう?)を考えて、「検証」(データを探す)というサイクルをまわすのが大事なのですが、ありがちなケースは以下のようなものです。

「Aというアイデアは?」「Bというアイデアは?」というかんじで、アイデア出しに終始してしまい、批判的なコメントをもらうたびに、アイデアをころころとかえてしまう。

もしくは最初にだした「A」というアイデアに固執して、つっこまれても直さずにそのままいってしまう。

こんなケースはよくあります。どちらのケースも「仮説を立てて、検証する」というプロセスを経ていないので、「アイデアそのもの」ばかりをみてしまうのかもしれません。

ある程度仮説検証をしていれば、仮に「A」というアイデアが没だとしても、そこから得られるものがあるので、気にならず「A’」を考えられます。

そういう思考のプロセスをうまく体験できるような仕掛けをつくれればなあと最近よく考えています。

※ちなみにこれはプランに限らず「自分のリーダーシップスタイルを発見する」というプロセスでも一緒です。「自分はこういうことで貢献できるかも?」という仮説を立てて、やってみる。その結果をみて「やっぱり微調整して、こういうことで貢献する」というふうに考えを修正していくというわけです。

こういう思考のプロセスは「経験からなにかを学ぶ・抽出する」ということそのものといえるかもしれません。

体験型の授業をさせるだけではなく、その中でこうした力そのものも学べるような機会をつくれればと思っています。今年はきっとこんなことに関する工夫をひとつ取り入れると思います。

 

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「先生の仕事ってなんなんですか?」という素朴な質問

大学にいて時々聞かれるのが、先生の仕事ってなんなんですか?という質問です。たまに「何者なんですか」とか言われることもあります。何者って。

「まあ研究者ってことだね」といっても、「研究者ってなにするんですか?」と聞かれます。「大学の先生」といっても、ぴんとくるわけではありません。

「ブログ書いたりすることですか?」と言われることもあります笑 まあ仕事も関連はしているけど。

たしかにぼくも自分が大学生のときには、大学生の先生って何しているのかわからなかったですよね。

会うとしたら授業くらいですし。大学の先生たちは、自分たちの仕事をどう説明しているのかなとふと気になりました。

一応やっていることを整理すると、文系の教員だと以下の4つがメインではないでしょうか。

・大学の授業:一番想像しやすい。でも授業時間以外も、シラバス書いたり、採点したり、授業つくったり色々な時間がかかっている。
・研究:いまいち想像されにくい部分。アンケートとかしてデータ取ったり、論文とか本を読んだり、自分の論文や書籍を書くようなお仕事のこと。学会発表などの出張も含む。
・大学関係の業務:裏方のお仕事。入試の試験監督とかそういうのも含まれる。
・大学の外に向けた活動:講演などをして研究知見を世の中に伝えること。

まあそんなことをやっているわけです。

しかし考えてみれば、大学教員に限らず「仕事で何をやっているか」ってわりとどんな仕事でもわからないもんですよね。

「働く」とか「仕事」というのは当たり前のようでいて、案外お互い何しているのかって知らないものなのかなとふと思いました。

ちなみに「大学の先生って春休み長くていいですね」というコメントについては、夏休みのときに書いたこちらの記事を答えとしておきたいと思います。

大学の教員は夏休みに何をしているのか?
http://www.tate-lab.net/mt/2015/08/1467.html

ちゃんと働いているのです笑

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大学の授業実践はどのように共有するのがいいのか?

最近表題の件について少し考えています。私自身研究のフィールドが大学教育であり、最近では立教大の実践をするようにもなったため、色々なところ授業実践の話を聞いたり、話すことが増えました。ただ、その際に「何をポイントに議論すればいいのか」ということについて、まだ少しつかみかねているところがあるというのも事実です。

もっと突き詰めていえば、こうした集まりにおいて「何のために実践を共有し、この会が終わった後に、それぞれがどのような状態になることがゴールなのか」という点が実は少しまだあいまいとしているのではないかとも思ったりもします。

一番シンプルに考えれば「それぞれが自分の実践現場にもどったときに、なにかしらの実践への変化を起こす」ということになるのでしょうか。その場合は、伝える方においても、「実践への変化をしたくなる」ようなプレゼンテーションが必要になるということなんでしょうかね。

こうした場で話題提供をすると「いやー、うちではちょっとできそうにありません」というリアクションをいただくこともよくあります。そう言われると、プレゼンの伝え方がまずかったかなと思うのですが、同時に、参加者の期待はどのようなものなのかということを考えます。

「何かを新しくやるため」の「理由」を探しにきているのか、「やる」前提でなにかしらの「方法」を探しにきているのか、はたまた「うちではやれない」という「理由」を探しにきているのか、少し考えてしまうこともあります。

「実践を語る」という場合に、実践そのものにはかなりたくさんの情報量があるため、何にフォーカスをするといいのか、そして、本来どのような場になるといいのかについて最近少し考えています。

まだ答えはありませんが、「こういうやり方もありかな」といういくつかのプランはでているので、少しずつ試していきたいなと思っています。

【関連情報】

例えば、この動画とかも「授業で何をしているのか」ではなく「授業をどのように作っているのか」を共有した方が「実践をつくる」という意味で有意義なのかなと思って作成したという経緯があります。なにかよいかたちが見つかるといいなと思います。

BLPの実践ができあがった歴史については日向野先生がこちらの書籍にまとめています。

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