「うちの組織はこうあるべきだ!」「職場をこんな場にしましょう!」

自分の組織のビジョンを立てて、語ることはリーダーシップにおいて重要です。

その一方で、だれかが中心になって、熱くビジョンを語れば語るほど、なぜか周りの人たちが「ちょっとうっとおしいな」と感じてしまうということも、これまたよくあることなのかなと思います。

語られているビジョンの内容が微妙ならまだしも、内容にもそんなに異論があるわけではないのに、なぜか心理的な距離がひらいてしまうのはどうしてなのでしょうか。

今日はぼくが体験した、ある会社のロールプレイの感想から、自分の考えを書いてみようと思います(研究知見からではなく、あくまで体験談です)。

ビジョンに対して少し引いてしまう感覚というのは、ビジョンの内容は頭で理解はできるけど、気持ち的にはどこかにちょっとした違和感が残るというかんじかなと思います。

もっと簡単にいえば「いまの自分たちのことをわかってもらえていない感」ともいえるかもしれません。

「変化しよう!」というメッセージは、「いまのままじゃだめだ」ということを伝えていることでもあります。

「もっと楽しく仕事しようぜ!」
「もっとクリエイティブになろうぜ!」

という言葉は、それだけ見たら特に悪い言葉とは思えません。

でも、意外と面と向かって言われたら、「普段つまらなそうに、だれでもできる仕事をしているよね」と言われているような気持ちになることもあるのかなと思います。

もちろん、メッセージを発する側はそんなことは感じていないのかもしれませんが、聞き手にはそのように「聞こえてしまう」ということがあるのかなというかんじですね。

そう言われてしまったら、「自分たちだってやりたくてそれをやっているわけじゃないし、目の前の仕事をやって組織に貢献しているんだぞ!」とか「いままでだって、それなりにやってきたんだぞ!」という気持ちになるのではないでしょうか。

そして、一度そういう気持ちになってしまったら、本当は「楽しく、クリエイティブになる」という変化をしてもよいと思っていても、その変化を受け入れるというのは、「いままでの自分の仕事は取るに足らないことだった」ことも同時に認めなくてはならず、そんなことはしたくないので、変化を受け入れないということになってもおかしくないのかなと思います。

抵抗したいのは「ビジョンの内容」ではなく、「わかってもらえていないこと」なのです。でも、なかなかそれは表に出てこないので「内容の議論」をしてしまい、どれだけロジックを詰めても、先に進めなくなります。

こうなってしまうと、よかれと思ってはじめた「組織のビジョンを語ること」が、結果的に「変化を生み出せない」どころか、「いままで普通にやっていた仕事に対しても、疑念を生んでしまう」ということになってしまいます。これだけはどうしても避けたいことだよなと思います。

これを避けるために何が必要かは、まだぼくの中でも明確ではないのですが、とにかくまず一歩目は「現場の状況を聞き、心で理解する」ということなのかなと思います。

これは別に「変化をせず、そのままでよい」ということではありません。

最終的には、一緒に変化の道を歩んでいきたいわけですが、その前に「現在の状況を相互に心で理解する」というステップを踏まなくては、いきなり前に進むことはできないのかなと思います。

今日はビジョンについて、自分の体験談から考えを整理してみました。全体として自分の感覚で書いているので、まだうまく整理できていないこともあるのですが、色々このあたりにヒントがあるように感じています。

ビジョンの問題、どう考えますか?

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