自分から新しい情報を探しにいったり、観察したり、フィードバックをもらいにいったりする、いわゆる「取りに行く」姿勢はどうやったら身につくのでしょうか?
授業をデザインしている立場としていつも迷うところは、色々なことをこちらが準備しすぎて、学生自身が「自分から情報を取りに行く」というタイミングや姿勢を失わせているのではないかという点です。
あまりにこちらが先取りして、情報をだしてあげたり、フィードバックをしてあげてしまうと、それが結果的に「待ち」の姿勢を生み出してしまいます。
だからといって、「君たちが動くのを待っている」といって、ずっと何もしないというのも考えものだと思います。そもそも自分から動き出せるような状況になっていないというところもあるでしょう。
授業をつくる側としてはいつもこのあたりのところに難しさを感じながらやっています。
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一方、授業を作る側ではなく、自分をひとりの学習者としてみたときに、「自分からどんどん取りに行くとき」はどんなときかを考えてみます。ブレスト的に箇条書きしてみると以下のようなことが思いつきました。
・本気になっているとき
・しょうもないプライドが邪魔しないとき
・それ自体にとてもワクワクしているとき
・かっこいいところを見せたいとき
・どうしてもやりとげたいとき
一方で、自分がとても受け身になっているときについて箇条書きしてみると以下のようなことを思いつきました。
・こなしているとき
・とりあえずカタチになればいいと思うとき
・恥をかきたくないとき
・だれかがやってくれると思ったとき
・自分である必要がないと思ったとき
こんなときはスイッチがオフになってしまうような気がしています。
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今回のブログに答えはないのですが、取りに行くモードをうまく誘発するような環境というのはどのようなものなのでしょうかね。
こうやって書いていると、環境よりも個人の「なんでも面白がれる力」が大事なような気がしてきます。しかし、その一方で、じゃあ「なんでも面白がれる力」はどう身についたのというループに入るわけですけどね笑
こういう話を書いているときにいつも思いつくのが以下のリンク先です。
みんながつまらないと思うことでも、面白がってしまう友人の話が書いてあります。自分がイメージしているのはこんなかんじなのかなあと思っています。
何でも楽しいという友人
http://anond.hatelabo.jp/20070823233243
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ちなみに、自分から動き出す行動は、アカデミックワードでいうと「プロアクティブ行動」といいます。
新刊「アクティブトランジション」の中で、ぼくはこの行動をできる人はどんな人かについて論文を書きました。そういうこともあって、「自分から動ける人ってどんな人なのよ」ということが、ずっと頭の中でぐるぐるまわっているようです。このあたりは研究的にも今後なにかやっているといいなと思っています。
三省堂
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