「他人の正解を当てにいかない」という難しさ

大学でキャリア教育の実践などにかかわっているとタイトルに書いた難しさを感じます。

授業の中では「自分がやっていて楽しいこと」や「自分のこだわり」みたいなものを、「自分なりに理解」してもらうようなワークをやったりするわけです。これらのワークに外側の正解はありません。

ワークとしての正解をあえて挙げるならば、ワークをやった結果「自分はこういうのやっているとき楽しいなあ」等といった自分に対する発見ができていればOKということになります。

しかし、学生を見ていると、「外側の正解」というか、「こういうことが正解なのではないか?」という発想から抜け出るのに苦労している様子を時々見かけます。

「外側に正解があるかも」と思ってこういうワークをやるといつまで経っても「自分自身のこと」がみえてこなくなってしまいます。一度他者の評価をシャットアウトして、「自分が」という「主観」を上手に持ってこないといけないのですが、なかなか難しいようです。

まあこれは学生に限らず、大人にとっても難しいことかもしれません。「自分の好き嫌い」とか「自分がどう思うのか」という主観を大事にしながら、それらに折り合いをつけるというのはなかなか高度なことです。

「他人の正解を当てにいくこと」は全てが悪いことではまったくありません。また、「自分はこういうのが好きだから!」と一点張りしたり、「自分の好きなことはなんだろう?」とずーっと悩んでいるというのも生産的ではないかもしれません。

ただ、「他人の正解」を知っていながらも、それを知った上で「自分の正解を提示する」というか、そういう心得は必要になってくるのだろうなと思います。そうではないと、どうしても「他人の基準のベターを生きる」という生き方になってしまいがちだからかもしれません。

「ここでの正解は理解できる。でも、ぼくはその上で、こういう正解を提示したい。」

そんな姿勢を持っていると、自分の人生をちょっとだけ主体的に生きられるのかもしれないなと思いました。

こんなことを書いていますが、ぼくもどちらかというと、ほっておくと空気を読んで周りにあわせがちな人な気がしています。ただ、それだと研究者としてはやっていけないので「自分がやりたいと思うことに素直になる」ということを大事にしています笑

生き方が多様になってくればくるほど、「自分の中に基準を持つこと」がどこか必要になってくるのだろうと思います。あなたはどんな基準をもっていますか?