学習を駆動する「本当に○○したい」思いとは?

最近ブログで「アウトプットへの恐怖感」「葛藤や修羅場以外の成長の機会」に関する記事を書きました。
どちらもFacebookやTwitterでさまざまな意見をもらうことができ、自分の考えが広がりました。ありがとうございます。
いただいたコメントはどれも印象的だったのですが、今回とりあげるのはタイトルにもある「本当に○○したい」というキーワードです。
実際にいただいたコメントを2つ紹介しましょう。(要約しています)
  • アウトプットをするのは恐怖感を感じる。でも「どうしても伝えたい」と思うときにはがんばれる
  • 修羅場以外で成長する機会は、他者とのかかわりを通じて「心から変わりたい」と思ったとき
この2つに共通するのは「どうしても」とか「心から」っていうキーワードですよね。
僕はこれを「本当に○○したい」と表現しました。つまり「本当に伝えたい」「本当に変わりたい」ということですね。
言われてみれば当たり前かもしれませんが、この観点はすごく大事だと思います。
恐怖や葛藤があってもなおそれに立ち向かうには「どうしてもこうしたい」「どうしても変わりたい」と思う強い気持ちが必要になるということです。
■ 学習研究における「本当に○○したい」という気持ち
かつて学習研究の中でも、この「本当に○○したい」ということの重要性が議論されました。
(※言葉足らずなことを承知して、僕の理解で振り返ってみます)
それは「実験室における、短期間の実験の限界」、または「学習者が必要としている方略(ストラテジー)などをそのまま教えてしまうだけでは難しい」といった問題などに関連します。具体的な場面としては、「課題らしい課題(クイズ的なもの・パズル的なもの)」を解いたり、「書きたいことがあまりない人に、書き方の方略を教える」という場面が想定できるかと思います。
「それは本当に○○したいことなのか?」という、学習者にとっての意味や、課題の本物らしさ(真正性)を抜きに学習を語れないのではないかという議論といえると思います。
こうした議論は、実験室から実践現場をフィールドにする流れを呼び、学習者にとって「自分が問いたいものはなにか?」を考えるといった話などへとつながりました。
こないだのブログに引きつけていえば「それは本当に書いて伝えたいことなのか?」「英語を使って、本当に表現したいことはなにか?」「本当に変わりたいと思うのか」ということにつながります。
要は学習者の「want(したい)」とか「what(何を)」を抜きに、「how(どのように)」だけを議論してもしょうがないという話ともいえるのではないかと思います。このように、考えてみれば「本当に○○したい」ということは学習研究の中でも非常に大きなトピックといえるわけですね。
■ 「本当に○○したい気持ち」を促すためには?
と、ここまで書いたところで、次に疑問に思ってくるのは
「じゃあ本当に○○したい気持ちってまわりから呼び起こすことはできるの?」
ということではないでしょうか。このあたりは色々あるのですが、今回は、三宅なほみ先生・白水始先生の「学習科学とテクノロジ」に書かれている内容をざっと説明しましょう。
さきほどからいっている「本当に○○したい」というのは、アカデミックな領域でいえば「動機付け」の話が近いと思います。特に「内発的動機付け」に関連してくるでしょう。
内発的動機付けは、すごくおおざっぱにいえば「自発的に学びたい」ということです。内側からの動機ということですね。一方「外発的動機付け」は、「なにかもらえるから」「怒られるから」という、自分の外の理由のことを指します。これまでこの二つは別々のものだと思われてきました。
しかし、三宅先生は「内発的動機付け」は、ある意味「外」と思われている他者などの要因や、「何かを知って、教えたい」という「知識」から引き起こされるのではないかというんですね。
例えば、何かを面白そうにやっている人が自分の近くにいればそれをみて自分もやってみたいと思うかもしれません。同じコミュニティの中にあこがれる人がいれば、この人のようになりたいと思うかもしれません。これは「外」をきっかけに、「内発的動機付け」が駆動した例です。
また、何かの知識を知ったら、「もっと知りたい」「まだこんなに知らないことがある」「人に伝えたい」という気持ちが湧くかもしれません。これは「知識」をきっかけに、「内発的動機付け」が駆動した例といえるでしょう。
こうしたことが研究では言われています。
■ まとめ
正直、書き始めたときにこんなに長く、そして、研究の話を書くとは思いませんでした(笑)
かなりおおざっぱに説明していますので、お叱りの言葉もあるかもしれませんが、そこはおおめに見ていただければと思います。この内容に興味をもってくださった方は、ぜひ関連する書籍を読んでみてください。もっと精緻にちゃんと書かれていますので。
考えてみれば「本当に○○したい」ということは、あらためて学習研究の中で非常に大きなトピックだったのだと思いました。「だった」というか、いまも重要なテーマですけど。
すでに分かっていることをおさらいするだけでも、たしかに「色々なことがわかっているなあ」と思いました。ただ、まだまだわかっていないことも多いような気がします。
なにかを「自分事として捉える」とか「本当に○○したい」と思うときはどんなときなのでしょうか。
あなたにとって「どうしても○○したい」「心から○○したい」と思う機会はどんなときでしょうか?
なにかあったらぜひ教えてくださいね。
■関連書籍
このへんが関連するでしょうかね。色々あってしぼるのが難し

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