人は「いつ」変われるのか?:「考え方」レベルの変化とそのきっかけ

教育や学習の研究をしていると、「人の変化」についつい目がいきます。人が変わるとき、すなわち「学習する」タイミングというのはどんなときなのでしょうか?
いわゆるテストの問題などであれば、変わるのは知識の構造だけかもしれません。しかし、もう少しメタなもの、例えば「自分の認識のレベル」・「考え方」・「生き方」・「ものの見方」に関する部分はちょっとやそっとじゃかわらないでしょう。
なぜなら、これは自分のアイデンティティとも結びつく部分であり、非常に強固だったりしますし、ある意味では「簡単に変わっては困るもの」だからだと思います。
これまで研究の中でも「ものの見方がかわるメカニズム」や「タイミング(きっかけ)」などについて色々な理論や考えが提案されてきました。
例えば成人教育学の分野で有名なメジローは、矛盾と葛藤を感じ、それを乗り越える過程でものの見方がかわるということを言いました。そのプロセスを学習と捉えたわけですね。
(※すいません、すごくざっくり書いています)
この他にも、いわゆる「修羅場経験が成長を促す」という話など「大きな危機を迎え、それを乗り越える過程で考え方がかわるのだ」という発想はいろいろなところでみることができます。
こうした考えについては私は理論的にも、体感的にも実感することができます。
たしかに自分のこれまでも振り返ってみてもそうでした。
ただ、いくつかの疑問も残ります。
例えば、
・大きな危機、不安、修羅場など、ネガティブな要因でしか人は変われないのか?
・危機があっても変われる人と、変われない人がいるが、その違いはなんなのか?
などです。
トライアル・アンド・エラーのように、「エラー(失敗)」をしないとこれらは学べないのでしょうか。
不安・葛藤・修羅場などが必須なのかということですね。
もう一つは、エラーからしか学べない場合に、適切なエラーとはどんなエラーなんでしょうか。
あまりに大きすぎる失敗は、失敗して終了ですよね。
考え方を変えるほどには強烈な体験で、もう一度チャレンジできるほどの余力やチャンスが残ることっていうのはどのくらいあるのでしょうか?
また、「経験して、失敗して、そこから学んで変化する」というストーリーはよくわかりますが、実は失敗から学べないこと・学ばないこともたくさんあるよなあと思ったりもするわけです。
実はけっこう同じ失敗繰り返してしまったりしませんか?内省することが大切なのかもしれないですが、どうしたら内省できるのでしょうか。なにがよい内省なのでしょうか。
こんなことを最近考えています。
「人が変わる」というのは非常に大きなことです。
だから、ちょっとやそっとで変わっては困るわけですが、それでも変わるタイミングはいつなのか?そして、どのようにしたら乗り越えられるのか?
このあたりのことについてもう少し考えていきたいなと思っています。
あなたが「修羅場・不安・葛藤」以外で、大きな成長をしたと思う体験はありますか?
あったら教えて下さいね。
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