論理思考を学ぶ授業で繰り返し言っていることのひとつに「目的を押さえる」ということがあります。例えば、相手に何かを伝えるとき、問題解決をするとき、どんなときにでも「目的を押さえる」ことがまず基本となります。目的が決まらないと、その手段が最適なのかを判断できないからです。

大学生たちも授業を受けていくうちに、「目的を押さえる」ということが何事においても大前提なのだということは理解してくれます。

その一方で、それが当たり前になると「目的を押さえない行動ってあるの?」という疑問もでてくるようです。たしかにそうなのですが、その当たり前のことをついつい忘れちゃうことがたくさんあるんですよね。

具体的に思いつく状況を以下に挙げてみます。

・グループで集まるときには「何かを決める」などの目的があるはずなのに、ついつい「集まること」が目的になってしまう
・文章を書くときに「相手になにかしてもらいたい」などの目的があるはずなのに、ついつい「書くこと自体」が目的になってしまう
・グループメンバーにフィードバックするという課題がでたときに、本当は「相手に行動をかえてもらうこと」がゴールなのに、フィードバックを書いて課題を提出することが目的になってしまう

これらに共通するのは「方法(手段)の目的化」ともいえます。本当は、その手段を通じて達成したいゴールがあるのに、それを忘れて手段に没頭してしまうということです。「でも、本当にやりたいのはなんだったっけ?」ということが気づけなくなるんですね。

授業中に学生にこの話を伝えたところ、「なるほど、真の目的を押さえるということですね」と言ってくれたのですが、まさにそういうことです。「真の目的」を忘れないようにするためには、「○○するために、自分が○○する」と意識することが重要です。「自分が○○する」とだけ考えていると、ついつい手段が目的化してしまいます。

具体例を挙げてみると以下のようになります。

「相手がグループワークの行動を改善してくれるために、自分がフィードバックを書く」

と、どこかにメモしておくだけでも、意識が変わるでしょう。一方で、

「自分がフィードバックを書く」

というだけにしておくと「フィードバックを書く」ということそのものが目的になってしまい、その手段は「課題を出すため」「書き終えるため」となりがちです。「真の目的」というのは、たいてい主語が「自分」ではないことが多いでしょう。

「(自分以外のだれか・何か)が○○するために、自分が○○する」

というフォーマットを意識して、メモしてみるだけでも、目的を押さえるクセがつくと思います。前半部分の目的は「人」だけではなく、「達成状況」の場合もあるかもしれませんね。

「ミーティングをする」

ではなく、

「今日はそれぞれ調べたことを共有するために、ミーティングをする」

というのもありだと思います。こうしておくだけで、目的からぶれずにすむと思います。

今日は「目的」について書きました。本当に基本的ではあるものの、これを押さえ続けるということを全員ができるようになれば、もっといろんなことがよりよくなるんじゃないかなと思います。

少し話はずれますが、書いているうちに個人的に思いついたのは最近の教育方法の議論でした。「授業をインタラクティブに!」というのはたしかにそうなのですが、「何のために」その手法をいれるのでしょうか。その目的を共有せずに、手法に走ろうとするとやはりうまくいかないと思います。

「目的」というのは、広い意味でいえば「ビジョン」ともいえるかもしれません。ビジョンの共有は、リーダーシップにおいても必要な能力の1つでもありますね。

自分もついつい忘れがちではあるのですが、常に目的を意識して、活動をおこなっていきたいものです。

まずはブログも漫然と書くのではなく、「だれにどんなことを伝えたいのか」を意識することからはじめてみます笑