腹を決めることを支援する

前回の記事で、「腹を決めることを支援する」というのがポイントかもと思ってきました。そして、研究においても指導教員とはそういう「腹を決めるプロセスを一緒に歩む」ことなのかなと。それについてもうちょっと考えたいなと思います。

ロジカルだけじゃ「腹は決められない」

「腹を決める」っていうのは、なかなか大変な行為です。研究でいえば、「研究テーマを決める」ということと一緒かもしれません。「テーマを決める」というのは、一方で、「別のテーマをやらない」ということだったりします。問題を絞るというのはたしかに重要なのはわかるのですが、「可能性を捨てる」というのはなかなか大変ですよね。

それこそ、「腹を決められない」から困るわけです。もちろん、最後に決心するのは自分、つまり、腹を決めるのは自分でしかできないんですけども、それを脇から支援することは可能です。例えば、判断材料を整理するとか、メリットやデメリットをそれとなく教えるなどです。これはひとつ「腹を決めることの支援」なのかなあ。

でも、腹を決めるにはそういうものだけじゃなくて、やっぱり「信頼感」とかエモーショナルな部分がどうしてもつきまといますよね。論理的な説得もいろいろ可能なわけです。こっちのほうが有利とか、不利とかみたいなことはいえる。でも、それがわかってても進めない部分がある。そういう信頼感みたいなものはどうやってはぐくんでいくべきなんでしょうかね。

単純に思うのは、「そもそもこの人は自分のことをわかっているのかな」とかそういうのは気になりますよね。いろんなアドバイスの信頼度っていうのは、「この人は僕のことわかっているから」ということにより、ずいぶんと背中をおされる思いがします。なんというか、そういう「基本的な信頼関係」というのがないと、どんな言葉も心に響かないということも極端な話ありますよね。

じゃあ信頼関係ってどうやってつくるの?ってことになるんでしょうか。難しい。

とりあえず「信頼してみる」

よくわからなくなったので問題をかえます。「信頼関係」って、ワークショップとかでつくれるのかな。

いや、ワークショップとかでよくあるじゃないですか。目隠しとかして歩きなさいとかいうやつです。そのときに、パートナーの声を頼りにやりなさいとかありますよね。そういうときって、無理矢理ですけども、信頼関係を結ぶことが求められているわけです。そういう行動をしたら、研究においても信頼関係って出来るんでしょうか。

もし効果があるとしたら、やってみたいですよね。

指導教員と学生で、なにか五感をしばって活動をするみたいな。しかも出来れば、立場を反対にするといいですよね。指導教員が「指示される側」になるみたいな。そんな活動すると面白いかもと思います。

そもそもワークショップでやったことは、日常に持って帰ってこれるのか

ここまで話してて思ったのですけども、ワークショップでやったことって、どのくらい効果の範囲があるんでしょうかね。

このケースでいえば

目的:普段の研究における信頼関係

実際やってること:目隠ししてなにか活動する

なわけじゃないですか。目隠しして活動するときは信頼関係に気づけるけど、それを普段の研究活動にいかすことってできるんでしょうか。わかりませんねえ。

次回はワークショップでやったことが、日常とどうつながるのかについてちょっと考えたいかもしれません。