「何でも楽しいという友人」という記事

以前ネットでこんな記事が話題になりました。

「何でも楽しいという友人」

http://anond.hatelabo.jp/20070823233243

ここで紹介されている友人は、文字通り何でも楽しんで作業ができる人のようです。彼はこんなことを言っているようです。

「どんな事でも楽しいよ。そりゃ最初から全部楽しいわけじゃないけど、どんな事でも、世界に一人はそれを楽しいと感じてる人がいるわけじゃん。どんなマイナースポーツでも、どんなマイナーな趣味でもさ。それだったら俺も楽しめるなって思うんだよ。楽しんでるその人がどういうところで楽しんでるのかって思いながら楽しいんだって軽く思いこみながらやってるとそのうちマジで楽しくなってくるし、楽しさがわかってくる。どういう所を楽しいと感じているのかってのが。基礎知識をある程度詰め込めば、それなりになんでも楽しくなるよ」

詳しくはサイトを見てください。でも、要するにこの友人は学校の勉強でもなんでも、「面白さ」を見いだして楽しく学んでしまうようなのです。すごいなあと思いますね。

いままで自分が教え手となった場合に、理想の学習者を想定することはほとんどなかったけれど、もし仮に想定するとすれば、僕はこういう人が育ってほしいと思うかもと少し思いました。

「何でも楽しいという友人」を育てるには?

ここであえてこんな問いを作りたいと思います。「何でも楽しい友人」みたいなマインドをもった人を育てることってできるのでしょうか?

極端な問いとして、「何でもつまらないという友人」を想定してみましょう。「こんなんつまらないよ。だって何の役にも立たないじゃん。」みたいな友人がいたとして、その友人を「何でも楽しいという友人」にすることはそもそも出来るのでしょうか?たぶん、この時点で「できる」or「できない」という立場がわかれるのではないかと思います。

じゃああえて「できる」と思った人は、どんな手法で、どうやって、そんな考え方になってもらいますか?

答えはたくさんあると思います。最近これについていろいろと思考をめぐらせて生活しています。この方法についての僕なりの意見はまた別の記事で書こうと思っています。みなさんはどんな方法を思い浮かべるでしょうかね。

友人のことばを自戒をこめて

彼の言葉の中に以下のものがあります。

「一番楽しくないのは、楽しくないって思って、ダラダラやることだよ。それは全然面白くなんない。つまんないとか嫌なことは、つまんないとか嫌だって思って嫌そうにやると嫌なままだけど、開き直って、おっしゃ、やってやるって、目標立ててやると、結構面白いよ」

開き直るというのは大切ですよね。「開き直りを促す」というのは、ひとつ支援の方法かも知れません。

いずれにせよ、最近、「自分が夢見る理想の学習者像」とか「社会」ってなんなんだろうと思ったりします。