たまにはいろいろ読んだ上でコラム風のことも書こうと思います。今回は「そっとひとりで学ばせて」というタイトルにしてみました。どういうことか。
いや、なんかいろいろ本を読んでいて思うのですけど、最近「変革」だとか「創造」が大事!って流れは多いですよね。それに、学びを「社会的に」っていうのも多いですよね。他人と協調しながらやったりとか、共同体を意識したりだとか。はたまた「自分を語ること」それも重要と言われますよ。自分を開いて、本音で話そうよ!みたいな。これらも大事だと思うんです。すごく大事。
でも、そればっかりって疲れませんか?
今日お昼を食べながらそんな話になりました。昔ながら、大講義の授業だけやってりゃいいとか、別に変わらなくていいよというわけでもないんですけど、なんというか、そういうことばかりだと疲れますよねえ。まだ全然考えはまとまっていないけど、ざっと疲れるリストを箇条書きするとこんなかんじです。
- 授業がほとんどプロジェクト学習(たまには先生の話をゆっくり聞かせて)
- 朝一の授業で知らない人とディスカッション(今日はひとりでいたい)
- 知らない人に自分を開いた話をすること(おまえちゃんとわかっとるのか?)
- 君、それほんとうにやりたいこと?といちいち聞かれること(そんなん意識する必要本当にあるのか)
- 常に変革を意識すること(変わらなくていいこともあるんじゃないの)
- 過剰なオープン化(机がフリーとか、外からすけすけとか)
まだあるけど、たとえばこんなところでしょうかね。いや、それらが全て悪いとは思いませんよ。ただし、上記のようなことって、実はけっこう重要な「前提」みたいなものがあってこそ生きるものなんじゃないですかね。
例えば、
- 座学の授業と、発表する授業のバランス
- インタラクションしたくない人が安心できる場所
- たまには知り合いとまったりする時間
- 好きとか、好きじゃないとか関係なく、とりあえずやること
- 変革なんて意識しない普通の日常
- だれにも干渉されずにひとりで没頭できる場所
こういうものがあるからこそ、そのカウンターとして最初にいったようなことが生きてくるわけですよね。
本当は
「Aだけじゃなくて、Bも重要だよ!」
(AもBもどちらもあってよい)
ではじまったのが、
「Bが重要だよ!」
(Aはだめ、いらない)
というニュアンスになってきてしまうのが世の常というか、そんなかんじがします。
たしかに、オープンで、フラットで、好きな仕事をして、世の中をかえていくことってすてきな気がしますよ。でも、なんつーか、それだけじゃないですよね。それに、それってけっこうつらい生き方ですよね。
もしかしてだれも得しないんじゃないの?という気持ちすらします。
「あなたはそのままでいいんですよ!」
というと、なんとなくそれはそれでアレですけども、そういう「ステイブル」な状態というか、変革から安定に導くやり方とか、そういうのってなんかないんでしょうかねと思ったりしました。
オープンで、語っちゃう学びもたしかにありだし、わかります。
でも、たまには「そっとひとりで学ばせて」と思ったりしませんか?
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