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先日平野智紀くんの主催するイベント「まれ美」に参加してきました。
渋谷にまつわるアート作品を対話型鑑賞という方法で楽しむイベントです。
対話型鑑賞をざっくりいうと、作品の横にナビゲーターという人がいて、いろいろ問いかけをしてきてくれるんですね。
「作品をみてなにか感じがことがありますか?」
とかですね。見ている人たちはなにか感じたら、感想を伝えます。
そうするとまたなにか返してくれたり、感想を聞いた他の人たちが「私はこう思った」とか「こう解釈できるかも」みたいな話をすることで、作品をじっくりみたり、自分なりの解釈をつくりあげる方法といえるでしょう。

こんなかんじで平野くんががんばっておりました(笑)
ちなみに知らない方のために説明すると、平野くんは大学の同期なので、もうかれこれ6、7年近くの付き合いになります。
ちょっと遠目からみるとこんなかんじです。
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対話型鑑賞の合間にはお菓子タイムがありました。なんと今回は手作りco-baケーキが登場!iPadの写真なのであまりきれいに写っていませんが見映えも味も最高でした。
こうしたインターバルの時間が実は鑑賞を深めるためのよい時間になっている気がしました。


今回は「渋谷」をテーマにした作品を3つみたのですが、どの作品にも共通して感じたのは、「渋谷のイメージ」と「リアル(現実)」のギャップを表現しているのではないかということでした。
例えば、ハチ公。「ハチ公」といったときに、あの銅像そのものをイメージする人は少ないんじゃないでしょうか。ハチ公の銅像という実体そのものよりも、ハチ公のイメージ自体の方がものすごく大きいですよね。
今回の作品はどれもリアルとイメージのギャップをさびしさみたいなかんじで表現していた気がしました。

ただ、僕はそのギャップというのは、さびしさだけではなく一方で「希望」でもあるのかなと感じました。
現実の延長ではなく、イメージだったり、背伸びの空間としての渋谷ということですね。
現実の延長上にない、イメージのような世界でのふるまいは、ある意味滑稽なことかもしれないけれど、背伸びを一度許容してくれる街なのかなと。そして、そうしたいったん判断を保留してくれる街というのは、なにかをクリエイトする意味では非常に大事な要素なのではないかと思いました。

対話型鑑賞という方法自体はいままでも経験したことがありましたが、イベントとして連続でいくつも作品を見るのははじめての経験でした。
2、3時間も持つのかな?というのが最初の感想だったのですが、終わってみるとあっという間でしたね。
じっくり楽しもうとおもえば、作品の数は少なくてもいいのですね。むしろ短いとすら感じました。

僕個人の好みという意味では、対話型鑑賞という方法は好きだなと思いました。
ある作品を正しく理解するがゴールというよりも、作者の意図を理解しつつ、妄想というか、思いを膨らませていくのは個人的に好きなことでもあります。
私の尊敬するある研究者の方が、「多読するのではなく、ひとつの論文をじっくり深読みし、さらには意図的に誤読していく」ということを以前言っていたのですが、それとも共通することがあるように思いました。
理解しつつも、どんどん深読みしたり、あえて誤読するように話をつくっていくことは、創造性を支えるひとつの活動なのかもしれないですね。
ここでの活動にヒントを得て、僕自身もまたなにか新しいイベントをつくりたいなと思います。
企画の平野君や、まれ美企画のメンバーのみなさん、co-ba libraryのみなさん、どうもありがとうございました!

対話型鑑賞の本も読んでみたいと思います。
まなざしの共有―アメリア・アレナスの鑑賞教育に学ぶ
■関連リンク
平野智紀くんのブログ
http://www.tomokihirano.com/news/2011/10/marebi-111015.html
僕が「なるほど!」と思った美術館鑑賞を楽しむ5つのポイント
https://www.tate-lab.net/mt/2010/08/post-181.html
【渋谷のシェアライブラリー】co-ba libraryに関する記事まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133594387475848001