「そういうお前はどうなのだ?」を問われる学問:ブーメランを受け止める覚悟

先週、このブログでは
・人は「いつ」変われるのか?:「考え方」レベルの変化とそのきっかけ
・学習を駆動する「本当に○○したい」思いとは?
ということについて書きました。
「人がかわる」とか「変わるための決心」みたいな話ですね。
個人的にこのへんのテーマが面白くてさらに思考をめぐらせていたのですが、
そのときにふと心に浮かんできた言葉がありました。
それは
「そういうお前はどうなのだ?」
という問いでした。
変え方・変わり方について話している自分は変わろうとしているのだろうか?
この問いが頭から離れませんでした。
こんなことを考えているときに、ふと私の指導教員である中原淳先生がブログに書いている言葉が頭をよぎりました。
さすがにどの記事かまで覚えていなかったので、Googleに「人に変われ nakahara」と検索したら、いくつかひっかかりました(笑)。
先生のブログから引用します。
 大人に学べと、あなたはいう。
 大人はまだ成長できると、あなたはいう。
 大人に変われ、とあなたはいう。

 で、「あなた自身はどうなのだ?」
さらに、以下の言葉も紹介されていました。
「自分が相手によって変えられるということに私が開かれているのでなければ、相手を変えたいなどと望む権利はない。」
(マルティン=ブーバー)
Nakahara-lab 「あなた自身はどうなのだ?」より
そうだよなあとあらためて思いました。
考えてみると、私がいる領域では、なぜかいつでも「ブーメラン的に」問いが返ってきます。
・ライティングの研究しているけど、君の文章ちゃんとしているの?
・経験学習が大事っていっているけど、君は失敗から学んでいるの?
・内省が大事っていうけど、君ちゃんと内省してんの?
・グローバル人材が大事っていうけど、君はグローバル人材なの?
どれもやたらと恐ろしい問いですね。
こうしたことがあるからなのか、時々「○○ができないから○○の研究しているんでしょ?」みたいなことが言われることもあります。(ちなみに僕は必ずしもそうだとは思っていません)
そんなことを考えているときに、
私たちのやっている領域は「そういうお前はどうなのだ?」を問われる学問
なのかなとふと思いました。
しかしまあ、なんとなくなのですが、そういう「覚悟」というのは外から見えないのに「わかってしまう」気がするから不思議なものです。
1.この人は口だけだ。相手に変わることだけしか求めていない。

2.この人は本気だ。それだったら自分も変わる努力をしよう。
なんの根拠もありませんが、だれかの発言に対して、この二択を直感的に外すことってほとんどないんじゃないかなと思います。
そして、この問題って「覚悟」の問題であって「その成果とか上手さ」みたいなこととは無関係な気がするんですよね。
「○○が大事というなら、お前もそれを大事にする覚悟があるのだろうな?」
ということであって、
「○○が大事っていっているけど、あなたそれ苦手だよね。うまくできてないよね。」
というのはまた別の問題ですよね。
大事なのは、その問いがブーメランであり、それを自覚した上で言っているのかどうなのかということなのかもしれません。
■ まとめ
今日書いた話というのは、ある意味2つのイメージで説明できるのかもしれません。
1.「AからBへ」というモデル
「何かを伝える人(変われ)」と「伝えられる人(変わることが求められる人)」を切り離して、その影響を考えるイメージ
2.「AとともにあるB」というモデル
「何かを伝える人(変われ)」は「自分自身も変わる対象であり」、互いが分離していないというイメージ。その関係はマルチであり、常に循環しているかんじですね。
2の世界観を持つことが大事なのかもしれません。
そして、最初に問いとして挙げた
「変え方・変わり方について話している自分は変わろうとしているのだろうか?」
については、自分自身は最近少しさぼっていたような感じもしています。
「忙しい」とか「研究が・・・、しめきりが・・・」といってばかりで、「自分の状況は固定して」考え、その上で「周り(自分の外)が変わればいいのに」と思っている節があったように思います。
自分が「勝手に固定している自分自身の状況」とはなんなのか、「本当にそれでいいのか」を見つめ、もしだめならちゃんとそれに向き合う覚悟が必要ですよね。
僕は最近なんとなく、全て「変える」ことが大事なわけではなく、まずい点を「認める」とか「受け入れる」ということも重要なのかなと思っ

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