こんな記事がネットで話題になっていました。人工知能をつかって「人狼ゲーム」を対戦させる大会のレポート記事です。

嘘を見抜ける人工知能が衝撃的すぎる
http://ascii.jp/elem/000/001/043/1043020/

私がこの記事を読んでいて特に印象的だったのは、以下の部分となります。

 そして人工知能がもっとも苦手としているのは、問題設定だ。

ある人物がこんなことを言ったのはなぜなのか。推理の裏には「実はこうだったからなのではないか」という仮説がある。人工知能はパラメーターをつくって状況判断をくだすことはできても、自分で解くべき問題をつくることはできない。

つまるところ人間と人工知能の間には好奇心の壁がある。もし人工知能が「これはなぜだろう」と考え、答えを見つけようとするプロセスをつくれたとしたら、そのときこそ人間は「最後の審判」に立たされるのかもしれない。

http://ascii.jp/elem/000/001/043/1043020/index-5.html

この部分には考えさせられてしまいました。

いまは大学の授業でも「問題解決」だけでなく、「問題設定」から学生にやってもらうものは多いです。例えば、卒論などはそうですし、レポートやプロジェクト課題によっても、「自分で問題を決める」というプロセスが入ってきます。

ただ、みなさんもご存じの通り「問題設定(テーマ設定とも言い換えられます)」ってめちゃくちゃ難しいですよね。

もちろん頭をつかって「よりよい問題を見つける」というのは難しいわけなのですが、さらにポイントとなるのは「好奇心」です。

「好奇心」とは、外側から客観的に決められるものではなく、「その人によって異なるもの」だといえると思います。ある意味でいえば「主観」ですよね。「知りたい」「やってみたい」という気持ちです。

この「主観」部分を上手に扱いつつ、「よりよい問題」をうまく設定する(ある種、論理的に)ためにはどうしたらいいのかなあと、あらためて思いました。さらにいえば、こういう過程をどうやったらサポートすることができるのでしょうかね。

「好奇心」てどうやったらうまく意識したり、伸ばしたりすることってできるのか?という問いとも関連するように思います。

今回のブログにそれ自体の答えはありません。ただし、今後大学教育の中において「問題設定(テーマ設定)」についてより取り組んでいくこと、そのために「好奇心」といった、ある意味での「主観」を上手に活かしていくことの重要性を感じました。

だいたい、プロジェクト型学習をみていても、よい成果を挙げるチームというのはテーマ自体に対して、メンバーが「好奇心」を持っているように見えるケースがとても多いです。

「自分はこれに興味がある」という好奇心ということを上手に扱うような教育は今後より重要になってくるかもしれませんね。

【関連書籍】

この書籍は「問題設定(テーマ設定)」についての記述がわかりやすく、面白いので個人的にとても好きです。

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